ファースト/アシュ・ラ・テンペル
First/Ash Ra Tempel

1.説教壇
2.ドリーム・マシーン

1971年作

 「アシュ・ラ・テンペル」及び「アシュ・ラ」はギタリスト、マニュエル・ゲッチングの在籍したグループ及びソロ・プロジェクトと考えてほしい。アシュ・ラ・テンペルはタンジェリンドリームを脱退したばかりのクラウス・シュルツ(Dr)とマニュエル・ゲッチング(G)、ハルトムート・エンケ(B)の3人で1970年に結成された。当時のマニュエル・ゲッチングの年齢は17歳、シュルツは5歳年上の22歳であった。このファースト・アルバムは当時のジャーマン・ロック・シーンの最大の仕掛け人であるロルフ=ウルリッヒ・カイザーが設立したレーベル「Ohr(オール= 耳)]から発売された。このOhrレーベルはグルグル、タンジェリンドリーム、アモンデュールなどドイツを代表する素晴らしいグループを生みだしている。

 アシュ・ラ・テンペルを1970年当時の音楽の流の中だけで語ることはできない。なぜなら、ご承知のとおりマニュエル・ゲッチングは1980年代後半からジャーマン・プログレなど知らないハウス/テクノという新しいエレクトロミュージックの若い世代のミュージシャンたちに評価され、ネタをパクられ、90年代のテクノ世代に圧倒的に支持されたことで、過去をさかのぼって再評価されているからである。[プログレシブ・ロックとは何だろうPart-12参照]実はこの私も90年代テクノの再評価の中で彼の存在を再確認し、過去をさかのぼって聴き返したファンの一人なのだ。

 1970年といえば全世界がヒッピー&サイケデリック・ムーブメントの渦の中にいた。このドイツでも同じである。このファースト・アルバムのサウンドはかなりドロドロした有機的なサイケデリック色で覆われている。一曲目の「説教壇」は動、二曲目の「ドリーム・マシーン」は瞑想的な静の世界が描かれている。特に「説教壇」ではシュルツのダイナミックなドラミングに呼応しながら、一心不乱にギターを弾きまくる18歳の少年ゲッチングの姿が清々しく感じられる。やはり、当時のスーパースター、ジミ・ヘンドリックスに影響を受けたのだろう、エコーを最大限にかけたスペイシーなサウンドがサイケデリックな浮遊感を生みだしている。初期のタンジェリンドリーム、ピンク・フロイドのドラッグ&トリップ・ミュージックとも近い感覚を持ったサウンドである。この時期はクラウス・シュルツとプロデューサーのロルフ=ウルリッヒ・カイザーがサウンドの実権を握っていたので、暗くドロドロした部分が全体を支配しているが(後に開花するマニュエル・ゲッチングのサウンドはスタイリッシュでミニマルで軽やかである)、ギタリストとしてのゲッチングの力量は十分に聴き取れる作品である。テクノ/ハウス・ファンというよりもプログレ・ファンに近い音世界ではないかと思う。

クラウス・シュルツ(Dr)
マニュエル・ゲッチング(G)
ハルトムート・エンケ(B)
評価:B(手応えのある快作品)
( Hideyuki Oba.2003.6.24)

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