ベルリン/清水靖晃

Berlin/Yasuaki Shimizu

side-1(イースト・ワールド) Part I 光と影 Part II 3重人格 Part III キリストの呪文を砕け Part IV 鉄の壁 Part V 2つの議論
side-2(ウエスト・ワールド) Part I ミューラーの悲劇 Part II ゼップ Part III 愚かなりわが心 Part IV 国境のない空vol.1 Part V 国境のない空vol.2 Part VI ベルリン 


1980年作

 この清水靖晃のソロ・アルバム「ベルリン」は随分と長い間聴いていなかった。それはやはりこの作品に対しての私の印象がとても薄いものだったからに違いない。そういう意味では評価も低かったのだろう。というより評価できるくらい聴き込んでもいなかったのだ。評価できないでいたといったほうが良さそうである。今、実に十数年ぶりに「ベルリン」を聴いて驚いた。「えっ、こんな作品だったっけ?」私のこころの中では静かで淡々として面白くない音だったということくらいしかイメージがなかった。それが実際に今聴いてみると随分とイメージが異なっていたのだ。確かに清水靖晃の淡々とした冷ややかなサックス・ソロだけの曲、例えばラスト曲の「ベルリン」や、クラシカルで淡々と進むストリングスの曲、例えば「ミューラーの悲劇」など昔からこころに残っていたイメージに近いものがあるけれど、それ以上に力強く大胆に激しいサウンドがぎっしりと詰まっていたことに驚きを隠せない。おそらく当時の私はバリバリにサックスを吹きまくる清水靖晃のソロや土方隆行のダイナミックなギター・ソロ、笹路政徳の華麗なるキーボード・プレイ、山木秀夫の変拍子などを聴くことしか頭の中になかったに違いない。だから、ロックという音楽から離れたストリングスによる完璧なクラッシック的作品や4ビート・ジャズなどの音楽の深さが理解できなかったのだろう。確かに、清水靖晃のソロ名義であればあの縦横無尽に繰り広げられるサックス・プレイが聴きたいというのも正直な気持ちである。だけど、ひとつの音楽作品として聴くならばこんなに起伏に飛んだ、練りに練られた作品が当時の私のこころに届かなかったという事実がなんとも悲しすぎる。自分の感性の乏しさに愕然とするしかない。

 気を取り直して、この作品について話しを進めよう。富田功の「惑星」に通じるコズミックなスペースサウンド、マライア流プログレ・ハード・サウンド、現在の清水が行なっているバッハのメロディーをサックスでプレイする静かなサウンド空間に通じるサックス・ソロ、マライアのクラシカルなストリングス・サウンドの影の部分、映画のサントラのごとく映像を喚起させる世界などの多様なサウンド表現を用いながら、マライアの中心人物である清水靖晃が持っている音楽哲学ともいうべき深いテーマ性が奥底に流れている。ベルリンといえば当時は東西を壁によって分断されていたドイツの暗い悲劇を象徴するものである。人類が引き起こした戦争の愚かさとどうにもならない運命や状況に対する怒りと諦め。清水靖晃は「アウシュビッツ・ドリーム」でも近い思想のテーマで作品を作っている。う〜ん、ちょっと重いかな、日本という経済大国で戦争を知らずして育った我々やそれ以下の人々にはヘビーなテーマではある。だからこそあえてそのテーマで表現することが必要であり、重要なのだ、と彼は考えていたのだろう。ま、そのテーマの真の意味まで理解できなくても何かしらのメッセージは伝わると信じることも大切である。現在、ベルリンの壁は崩れさり、東西ドイツはひとつになっている。変わらないものなどこの世にはない。変わり続けなければならないのだ。プログレシブとはそういうことなのだ。

清水靖晃:サックス
笹路政徳:キーボード
土方隆行:ギター、コーラス
濱瀬元彦:ベース
渡辺モリオ:ベース
山木秀夫:ドラムス
村川ジミ−聡:コーラス
中沢健次:トランペット
荒木敏男:トランペット
横山均:トランペット
鍵和田道男:トランペット
内田日富:トランペット
川島茂:トランペット
多 ストリングス

評価:B(手ごたえのある快作品)

( Hideyuki Oba.2001.5.8)

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