新月/新月
shingetsu/shingetsu

1.鬼
  Oni
2.朝の向こう側
  The other side of morning
3.発熱の街角
  Influential street
4.雨上がりの昼下がり
  Afternoon-After the rain
5.白唇
  Fragnents of the dawn
6.魔笛”冷凍”
  Freeze
7.科学の夜
  Night collector
8.せめて今宵は
  Return of the night

1979年作

 長い間、キング・レコードはユーロピアン・ロック・コレクションやネクサス・レーベルなどで、日本の音楽市場にプログレシブ・ロックを投入し続けてきた。プログレ暗黒時代の1980年代にもわれわれプログレ・ファンに数え切れないくらいのプログレシブ・ロックの名作を届けてくれた。プログレシブ・ロックを真面目に取り扱う唯一のメジャー・レコード会社であった。多くのプログレ・ファンがキング・レコードのプログレに対する真摯な姿勢に感謝していると思う。そんな状況がにわかに変わり始めたのが1994年頃、あのプログレシブ・ロック専門の音楽誌「マーキー」がベル・アンティーク(Bell Antique)というプログレ専門レーベルを立ち上げたのである。その後、アルカンジェロ(Arcangelo)というプログレ中心のレーベル&音楽雑誌も誕生。これらのプログレシブ・ロック専門レーベルの誕生は1990年代にプログレシブ・ロックが復活したことを裏付ける象徴的な出来事であった。

 わたしが新月のデビュー・アルバム「新月」と出会ったのは1994年、プログレシブ・ロックが再び世の中の表舞台に返り咲き、過去の名作が次々に再発売され始めた時期だった。あの頃、新宿のディスク・ユニオンのプログレシブ・ロック・コーナーには今まで見たことも聴いたこともないプログレシブ・ロックのCD作品が所狭しと並んでいて、日本も含めた世界のプログレシブ・ロック・グループの過去の作品たちが次から次へと発掘されていた。それは新作と同じ感覚で発売されていたように思う。プログレ不毛の80年代を経験する者にとって、これはうれしいながらも、どこか戸惑ってしまうくらいの状況だった。ずらりと平積みされたプログレ作品を目の当たりにして、心臓の鼓動は高鳴り、血圧は上がりっぱなし、舞い上がって地に足が着かないような私であった。

 今となってはどういう動機でこの「新月」を買ったのか思い出せないが、初めてこの作品の音を聴いてとにかく驚いた。一応、プログレシブ・ロックにはそこそこ詳しいと自負していた私だったが、全くの勉強不足。新月というこんなにも素晴らしいグループがこの日本に存在していたことを全く知らなかった。特に1曲目の「鬼」は早起承転結がしっかりと構成され、物語性のあるドラマチックな展開にプログレ・ファンなら誰もが鳥肌するに違いないとんでもない名曲であると断言したい。シンプルなシンセのメロディーから始まり、そこに美しいアコースティック・ギターが重なってくる。で、いきなりキーボード、ベース、ドラムスが加わりサウンドが一気に厚みを増して走り出す。メロトロンが鳴り響き、フルートの調べが宙を舞い、スティーブ・ハケットに影響を受けたであろう津田治彦のギターの音色が聴き手のこころに刺さってくるのだ。この「鬼」には日本の風土の中でしか生まれないサウンドのオリジナリティーがしっかりある。ジェネシスやクリムゾン、そしてカンタベリー系ジャズ・ロックから学び取った音楽をベースに日本独特の新月しか作れない詩&メロディーとサウンドの世界観がある。ブリティシュやヨーロッパのプログレシブ・ロックをただまねるだけでない彼らだけの個性が確実に存在している。そこが素晴らしいのである。もちろん、この「鬼」以外の曲も日本独自のフォークソングの感性とプログレシブ・ロックが融合した独自の世界観が感じられる。

 早速、ジャップス・プログレシブ・ロック(マーキームーン社刊)で調べてみると、しっかりとその名前があった。新月は日本を代表するプログレシブ・ロック・グループ”美狂乱”と共に1970年代の後半に活躍し、しかも、美狂乱よりも一足早く、1979年にビクターのZEN レーベルからこのファースト・アルバムを出していたのだ。ちなみに美狂乱のファースト・アルバムは1981年に発売されている。1970年代には四人囃子が日本のプログレシブ・ロックとして商業的にも大成功を納め、メジャーのレコード会社から作品を出していた。この時期は70年代に一世を風靡したプログレシブ・ロックの幻想がまだ生きていた。だから新月のファースト・アルバムは売れることを期待され、1979年4月〜5月にかけて箱根ロックウェル・スタジオで300時間以上を費やしてレコーディングされた。つまり、制作にかけられるお金があったのだ。後の1980年代に活発化するインディーズ的な日本のプログレシーンの貧乏な状況とは違う恵まれた環境で制作は行われたのである。

 新月は日本初の本格的なユーロピアン・シンフォニック・ロック・グループであるセレナーデ、ロシア近代クラッシックの和声を取り入れたHAL、中期ゴングやブランドX風のジャズ・ロック・グループであるベラドンナのメンバーが集まり、1976年暮れに結成された。1977年夏、渋谷の屋根裏でデビュー・ライブ、その後、渋谷屋根裏、江古田マーキーなどのライブハウス中心に活動を行い、実力を付けて行く。1978年11月25日にお茶の水全電通ホールでフールズ・メイト誌(当時のプログレシブ・ロックを積極的取り上げた音楽誌)の主催で行われた”From the new world”というイベントに美狂乱、ガラパゴス、UNIT Xらと共に出演。日本的な情景を感じさせる歌詞&メロディーとジェネシスや初期キング・クリムゾンの叙情性を思わせるシンフォニック・サウンドを展開。津田治彦のスティーブ・ハケット的な多彩なギター・ワーク、花本彰の華麗なキーボード、鉄壁なリズム隊による高度な演奏技術から創造される彼らのサウンドは多くのファンを作っていった。また、劇団「インカ帝国」で演劇を学んだ北山真はピーターガブリエルから影響を受け、衣装の早替わりやモンスターマスク、能面などの小道具を使い、魅惑的なステージ・パフォーマンスを行った。

 デビュー・アルバム発売直後の1979年7月25日、26日に芝のABC会館でコンサートを行った。そこでは北山のパフォーマンスに加え、三面マルチスクリーンを持ち込み、照明、舞台セット、演奏の3つが噛み合った素晴らしいライブを見せ、高い評価を得た。その後もライブ活動を行い、精力的に活動するも、彼らのプロダクションであった箱根ロックウエルが経営不振で倒産、計画中のセカンド・アルバムのレコーディングは中止、このままプログレシブ・ロックを続けても商業的に売れないということで、新月は解散に追い込まれて行くのである。1980年代とはその音楽がどんなに素晴らしいモノであっても生きてゆくことが難しい、プログレシブ・ロックにとって非常に厳しい時代だったのだ。

 
北山真:vocal
津田治彦:guitar
高橋直哉:drums
花本彰:keybords
鈴木清生:bass
評価:超A(滅多に出ない超傑作品)
( 大庭英亨 2002.4.13)

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